日本东京国立博物馆国宝书法藏品欣赏,书法横幅作品图片六幅。

日本东京国立博物馆国宝书法藏品欣赏

南堂禅師墨蹟,紙本墨書,了庵清欲筆,縦27.9 横73.9,元時代至正元年(1341),松平直亮氏寄贈

古林清茂の法嗣である了庵清欲(1288-1363)は,保寧寺,開元寺,本覚寺,霊巌寺に歴住し,順帝より金襴の法衣と慈雲普済禅師の号を賜った。この墨跡は,了庵清欲が本覚寺に住していた元の至元7年(1341)正月十七日に,日本から入元中である的蔵主に書き与えた一幅である。的蔵主の伝は詳らかでないが,禅寺での勤めを終え,帰国に際した的蔵主の求めに応じて書き与えたもので,了庵54歳の筆になるもの。温順な筆致には,趙孟フの影響が認められる。

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虚堂智愚筆紙本墨書,縦28.5 横70.0,南宋時代13世紀,松平直亮氏寄贈

径山万寿寺などに歴住した高僧虚堂智愚(1185-1269)が,日本僧の無象静照に書き与えた法語である。無相は景定3年,育王山に虚堂智愚を訪ね,咸淳元年に帰国,のちに京都の仏心寺の開山となった。したがってこの墨跡は,虚堂78,9歳のころの揮毫になるものと推定される。武野紹鴎の愛玩を経て,京都の豪商大文字屋の所蔵時に砕破されたため,「破れ虚堂」の別称がある。のち松平不昧公の手に移り,雲州松平家に伝来した。

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康里トウトウ筆草書詩書巻,紙本墨書,元時代,14世紀,高島菊次郎氏寄贈
康里トウトウ(1295-1345)は,西域の康里部出身。漢人同様の教養を身につけ,書にも巧みであった。李白古詩?自作古詩の各1首と,唐人の五言絶句6首の3種を1巻に装幀したもの。犀利な露鋒と遒勁流美な筆致で,間に元の張雨や明の文徴明等の跋がある。

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無相居士あて尺牘紙本墨書,大慧宗杲筆,縦37.9 横65.5,南宋時代,12世紀,松平直亮氏寄贈
圜悟克勤の法嗣で,大慧派の始祖と仰がれる大慧宗杲(1089-1163)は,秦檜による政争にまきこまれ,湖南の衡州さらには広東の梅州に流謫された。本幅は,梅州に謫居していた大慧宗杲が,会下の無相居士へ送った尺牘である。無相居士の伝記は詳らかでないが,俗名を鄧子立といい,大慧とはごく親しい間柄であったらしい。大慧墨跡中最も珍重される名跡の一つで,江月宗玩を経て,のち松平不昧公が愛蔵し,同家に襲蔵された。

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無準禅師墨蹟聖一国師紙本墨書,縦32.1 横100.6,南宋時代淳祐2年(1242),松平直亮氏寄贈

聖一国師(円爾弁円)が,その師無準師範(1177-1249)のもとを辞して帰国した翌年の淳祐2年2月,無準の住する径山万寿寺が炎上の厄にあった。博多に承天寺を創建しその住持となっていた円爾は径山炎上の報をうけると,当時日宋貿易に従事していた豪商謝国明の協力を得て,復興資材として板千枚を寄進した。謹直な趣を示す本幅はそれに対する無準師範の礼状で,その因縁から「板渡しの墨蹟」と呼ばれ世に珍重されている。松平不昧公旧蔵品。

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圜悟克勤筆紙本墨書,縦43.9 横52.4,北宋時代宣和6年(1124),松平直亮氏寄贈
宋代禅林の巨匠圜悟克勤(1063-1135)が,その法嗣の虎丘紹隆に与えた印可状の前半。全文の記録される『圜悟仏果禅師語録』によると,墨跡の末尾には宣和六年(1124)十二月の款記があったが,伊達政宗の所望で半分に切断され,後半が伊達家に渡ったとされる。現存最古の墨跡で,圜悟克勤の禅林史上の重要さとあいまって,古来墨跡の第一とされてきた。本幅は薩摩坊ノ津海岸に漂着したことから「流れ圜悟」の異称がある。大徳寺大仙院,堺祥雲寺伝来。のち松平不昧公の所蔵となり,永く同家に襲蔵された。

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